いつ、どういうきっかけで遊ぶようになったのか、思い出せない。また、どこに住んでいるのか、まったく知らなかった。中学1年、相撲のうまい山内君が中心になって、放課後学校の砂場で、よく相撲を取った。その中に、金城君もいたのだ。山内君といつも一緒だったから、彼の遊び仲間だったに違いない。
山内君は、柔道の浮き腰と言うのだろうか、相手を腰に乗せて器用に投げる技が得意だった。分かっていても、あっという間にひっくり返されるのだ。ところが、その技が、金城君には通じなかった。手足が長過ぎて、腰に乗り切らないのである。すると、山内君は柔道を習っていたのだろうか、内掛けのような技も使った。相撲では、彼が一番、誰もかなわなかった。
子供の世界とは面白いものだ。その山内君も、どこに住んでいたか、同じクラスだったのかも思い出せない。遊ぶようになったきっかけも思い出せないのだが、中学1年の一学期は、なぜかよく相撲をとって遊んだのだ。
その年の夏休み、小学校で遊んでいると、金城君も遊びに来た。滑り台で一緒に遊んだが、その時、2学期から大阪に行く、という話を聞き驚いた。中学になって遊ぶようになり、友達になったばかりだったからだ。
大阪という響きに、とっても遠いところという以上のことは、私には思い浮かばない。まだ家にテレビもないころだ。翌年の東京オリンピックにあわせて、テレビは購入したのだから。大阪といっても、何の知識もイメージもなかった。遠くへ行ってしまうのだ、という驚き、ショックしかなかったのだ。
本土の人には分からないだろうが、ハーフの子はどのクラスにもいた。差別やいじめがあったと思われるかも知れないが、私の周りでは、それはなかった。子供というのは、親の強い影響下にある。親が差別をしなければ、子供は差別の意味さえ理解しないのだ。
私の住んでいる家から、ほんの50メートルのところには、お父さんが外人の家があった。背の高い、かわいい女の子が同級生だった。そこにはテレビがあり、皆で押し掛け見せてもらったものだ。驚くことに自家用車もあった。小学校を卒業する頃には、引っ越していった。基地内の住宅にでも越したのだろうか。
ただし、これは私の見聞した限りでのことである。私の地域や、私の時代(昭和30年代から40年代前半)の狭い経験であり、他の地域、他の時代については分からない。推測だが、復帰して後に、差別やいじめが頻発するようになったのではないか。国家というくくりが、人種差別やいじめの原因になることは、容易に想像できる。
名前も知らないが、同じ中学に、ハーフで体の大きな子がいて、怖い不良だった。授業には来ないが、学校帰り、拝所が関所になっていて、そこで皆呼び止められてジャンプさせられた。小銭を持っているとチャリンチャリン音がする。すると取り上げられるのだ。幸い、お小遣いなどもらえない私は、小銭を持っていることもなく、よって被害にあったこともない。
同じクラスに、Nさんという可愛い女の子もいた。小柄だったが、横顔は美しく、まさに外人そのものだった。日本人と外人の顔の作りの違い、それは、正面観賞用か全面観賞可であるかだ。どの角度から見ても、外人の顔は美しいのだ。これは、彼女を見て発見したことである。
金城君から出発して、いろんなハーフの同級生を思い出したのだが、やはり金城君が一番思い出深いし、また、その後何度となく思い出した。どうしても気になったのである。大阪、とはどういうところなのか、幸せに生きているだろうか、と。特に、人種差別のニュースなどを見ると、真っ先に彼のことが思い浮かんだものだ。現在どうしているのだろうか。
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